シ チリア人(イタリア人)日本へ行く! 第一回

去年と今年と仕事で日本に行く機会がありました。
去年は3人のイタリア人を連れて行き、今年は団体を連れて行きました。
去年に続き、今年参加した団体のほとんどが日本へ行くのが初めてで、去年も大変でしたが、今年はも〜っと大変な旅行になりました。

ということで今年日本へ行った話がメインになるのですが、今回は前置きとして去年3 人を6日間日本に連れて行った、、というか通訳で行った話をしましょう。

2004年6月。
ちょうど日本が梅雨に入った頃、日本へシチリアから1人、プーリアから2人の父親と 息子を連れ、彼らの数十年前からの念願だった初めての日本に到着した。

シチリア人の男性はスリさん(50歳代)は日本人恩師に教わった合気道 をイタリア、そしてヨーロッパに広めようと組織を作った中心人物。 脳神経系の医師。 私の元日本語生徒。

プーリアの父親はポリさん(50歳代)もスリさんに同じ。
ポリさんが組織の会長(余談:彼らは会長と言わず、クワイチョウだと つい最近まで思っていた。クワイチョウ、クワイチョウと言われて会長だと思いそう教えたが、クワイチョウだとがんばるので世間知らずの私はきっと合気道の世界ではクワイチョウというのかもしれないと私まで彼をクワイチョウと呼んでいた。密 かに珍鳥の名前みたい!と思って笑っていた)。 建築士。 独学で日本語を勉強中。 この時覚えた言葉は「ハッツミミ〜ッッ!(初耳)」

クワイチョウ、、、じゃない、会長ポリさんの息子ヴィットリオ(20代)も 3歳より合気道を初め、将来はこの組織を継いでいくのでしょう。彼もこの組織の幹部を務めている。 
建築士。 パパにナイショでヘビースモーカー。

この3人は彼らの恩人である師範に会いに行ったと言いたいところですが、その師範はもうお亡くなりになっており、師範の墓参をメインに、そして同師範の弟 子、彼らの同胞である日本人師範方に会いに日本へ行ったのです。

私はスリさんに知り合ったのが1995年で、友達のスポーツクラブで合気道をしていたのです。  思い出すと知り合った当時私はガンコにもイタリア語を覚 えず、英語で話をしていた(イタリアにいるにも関わらず4年もイタリア語を覚えずにいた私)。

99年頃、スリさんは恩師が亡くなって絶望していたが今は立ち直ったと言いつつも泣きそうになりながら我家を訪れた。 
その時に日本へ送りたい手紙があると言われ手紙を訳したその時から私はポリ・スリさんと同胞日本人師範Y氏の間の通訳というか交流大使に選ばれ日本語の分 からないポリ・スリさんについて翻訳・通訳をしてかれこれ5・6年になります。

ポリ・スリさん、ヴィットリオの3人はとても体格良く体重身長とも大柄 なのですが、
その間に挟まれると小柄で痩せ型、モトイ、チビデブな私がとても痩せて見えたものです。

そんな彼らはミラノから片道11時間半の飛行機のエコノミーに乗り、背広を着てきつそうにして座っていたり立っていたり・・・・汗。
私は幸い飛行機の座席は彼らと別の場所だったのでラッキーでした。

日本は関空に到着し、お迎えに来ていただいたY師範の日本人には広いと感じるベンツ 車の座席は彼らが乗り込むとかなりきつく感じるほどでした。 
なんというかぁぁ、、、相撲取りがキツキツにベンツに乗っているといった感じが近いでしょうか?

仕事柄、そして合気道を通して旅慣れしているポリ・スリさんは日本の旅館にすぐに馴染んだものの、旅館の温泉や大浴場には一向に慣れず部屋で済ませていま した。
もったいない。。。。

一番笑ったのは身長の高い彼らは洋式便座が低くて小さいので、オシッコする時の標的が難しいなどと言って大笑い。

またおふとんで寝ることはベットのように落ちる事がないので助かる!と言ったり、
でも彼らの体格にピッタリの特大サイズの浴衣(キモノパジャマと説明したら大喜びしていた)の調達もY師範のお陰で彼らは喜んで着ていた。 
旅館の名前の入った浴衣を喜んで買っていました。

箸の使い方が初めは難しかったけれども、行く場所行く場所箸ばかりなので2日目から箸で食べられるようになったり。
お好み焼き、焼きソバ、うどん、和食の朝食、懐石・会席料理、刺身、何でも食べました。
挙句は食べたいであろうと連れて行ったイタリア料理まで箸で食べようとしたりしていました!

一番の彼らの問題はイタリアに毎日電話がかけられなかったこと。
泊まった全ての旅館から国際電話がかけられるとは限らなかったので。。。
そして国際電話がかけられる公衆電話もなかなか無かったから。。。
テクノロジーで有名な日本なのにイタリアに電話をかけるのに苦労をするとは・・・っとぼやいていました。 それほどスリさんは奥様を愛し、ヴィットリオも彼女を愛しているのは分かりますが、毎日かけられないと怒ることはないでしょうが・・・!!

彼らが時差ぼけで疲れているのは分かりますが、折角なので夕食後ホテルに帰りますと言っておきながらバッティングセンターに連れて行ったり。 
ヴィットリオをパキンコ(イ タリア人はCHIをキと発音するのでパチンコがパキンコになる)に連れて行ったりと、それなりに日本人の娯楽をも経験したのでした!

そして梅雨時の雨を経験しただけでなく、ちょうど台風も来て大雨が降った日もありました。 

来日理由のメインである恩師墓参もお寺に行って本堂で7回忌供養を盛大に行った後、
お墓の前で涙ぐみながらお辞儀をしていました。
イタリア人はカトリック教だけれども、日本の仏教という異教徒でしかも本堂においての供養1時間半を正座やあぐらをかいて日本のしきたりにも触れた。 
いくら合気道で正座もするとは言え、さすがに彼らも足がしびれてなかなか起き上がれなかったことは言うまでもない。
私も久しぶりの正座で起き上がれなかったが・・・・

滞在中は同胞であるY氏をはじめ大勢の日本人師範の方々やその弟子達の熱〜〜い歓迎に触れ、彼らの合気道に対する気持ち、考え方、言葉は通じなくとも心が あれば通じるということも確実に確かめることができ感動したポリ・スリ一行は、「次回日本に来る時は私達の弟子も連れて大勢!で来日します!」と言ってイ タリア行きの飛行機に乗りました。 
いろいろな思い出のなかでも彼らが日本滞在で一番気に入ったお寺で聞き覚えたお経を「むにゃむにゃふーんにゃむにゃ!(お経)ど〜ん!ち〜ん!(金太鼓の 音)」とか言いながらまたエコノミーに乗ってイタリアに帰りました。

彼らの「次回日本に来る時は私 達の弟子も連れて大勢!で来日します!」という言葉にY師範はにこやかに喜んだものの、コメカミに不安の立て線と汗が浮かんだのを見逃さな かった私はイタリアには帰らず東京の実家へと帰り、大好物の一つであるら〜めんをすすり久々に幸せを感じたのでした。 

2005年

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